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迷ったとき

ランチにイタリアンにするか蕎麦にするか、それとも贅沢なサラダにしよっかなーっていう迷いと、これは自分の人生においてどっちを選ぶべきなのか、またはやるべきかやめるべきか、というややシリアスな選択をしなくちゃいけない時。

大なり小なり、生きることは選択の連続でいつも決定して生きてきてると思います。

 

じゃあ、簡単に答えを出せない物事に出くわした時、どうやって決めるのか。

 

わたしは建築の仕事で独立した時に決めたことがあります。

それは悩んだら自分にとって「難しい方」を選ぶということ。

つまり、全く出来るかわからない、または自信がない方を選ぶということです。あとは、直感で「やだな〜、めんどくさいなぁ」と思う方。

で、これを後悔したことはないです、そちらを選択したことに。後悔しないってことにつながる決断も大切だと思います。

結果で後悔したことは...あるけど(笑)

でも、選んだことで広がった世界に比べたら、失敗なんて小さなもんです(まぁ大体)

上手くいかなかったな〜くらいの感じ?(反省してないともいうw)

 

難しい方を選んできて、よかったなぁと思うのは、乗り越えられた時にはやはり自信につながるし、何よりトライした自分を誇れるようになることだと思います。

そうやって、いつも自信がなくて小さくなってた自分を、自分で変化させていく手法として「難しい方を選ぶ」ということをして来ました。

主に仕事においてはそのスタンスで臨み(あくまで自分の中で)今も時々その選択をするようにしてます。

 

時々というのは、なるべく「難しい方」を選ぶようにしてたのは20~30代だったから。まだまだ知らないことが多かったから。

今は建築の時のように厳しい状況・決断に日々追われている、追い詰められる感覚はないので、仕事において選択する作業が穏やかになった気がします。

 

そして、ヨガの世界に移行(これ自体も大きな決断)してから「難しい方」を選択する時に、今度は「直感力」が加わりました。神様の前髪的な?笑

vedaで指導すること、ワークショップをすること、地方に行くこと、研修を担当すること、アディダスの動画撮影すること、などなど、、、私に降って湧いて来たことを受け取る選択をするのは、それなりにプレッシャーや不安がありましたが、以前に比べたら理屈より感覚でGOサインが出るようになりました。

 

そもそもこっちが「難しい方」と思っていた思考が、ヨガで少しずつ溶けていったのかもしれません。

難しいってほんとにそうなのかな?自分がそう思いこんでるだけじゃないのかな?って。

そうやって、難しい、大変、という概念自体も変化しているのですが、チャレンジの意を含んだ「難しい方」を選ぶことをこれからもベースにしていけたらなぁと思います。

守りに入りがちゆえ。。。