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ムーンデイ

アシュタンガヨガでは新月と満月の日は練習をお休みします。

それは何故なのか?

アシュタンガヨガを始めた頃に、何人かの先生たちが口にしていたのは「月のエネルギーに人間のエネルギーも影響されるため、結果的に練習中に怪我をしたり、またはそれが治りづらくなる。」というものでした。

 

さて、本当にそうなのでしょうか。

こちらに紹介するのは、エディ・スターン先生が書いたムーンデイについてです。

 

私はこの記事を読んで、非常に納得しました。

「伝統的に土曜日は練習を休む」ということについても、かつて私の先生からその理由を聞きましたが、同様のことが言えます。

(現在、シャラート先生は日曜日を休みにしています)

 

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新月と満月の日にアーサナの練習をしないという慣習については、その理由と意義について様々なことが言われています。

しかし実際はとてもシンプルな理由に基づいています。

 

ご存知のようにグルジが学んでいたマハラジャス・パタシャラ(南インド・マイソールのサンスクリット大学)はムーンデイとその前後の1日、合わせて3日間は休講でした。生徒達はこの間もそれぞれ研究を続けていますが、新しい指導がなされることはありませんでした。その理由の一つとして、これらムーンデイに教師と生徒達―ブラフミン。ヒンドゥの司祭階級―によって特定の儀式が執り行われることが挙げられます。

 

たとえば先祖を祀る儀式は新月に執り行うことに決まっており、またたとえば沐浴の儀式はムーンデイの翌日に行う慣習となっていました。そして、こうした儀式を執り行うのは非常に時間がかかるものでした。また、私はその原典を発見出来てはいませんが、パタビ・ジョイス師と、マイソールにいる私の「バガヴァッド・ギーター」の師、2人が共に引用したのが以下のような言葉でした。「教師がムーンデイの前後3日間に新しい課題を教えるとその教師の知識は減少し、またその生徒の知識も減少してしまう。」

『グルジ』(古くからの生徒達、地元の近しい人々へグルジ=パタビ・ジョイス師について聞いたインタビューをまとめた書籍)制作のためパタビ・ジョイス師の占星術師にインタビューを行った際、彼もまた知識の増減について共通する考えを以下のように話してくれました。「我々のマインドは月であり、月と同じように満ち欠けがある。学びもまた空の月と同じサイクルに則っている」

 

パタビ・ジョイス師はマハラジャス・パタシャラ(サンスクリット大学)の生徒であり、卒業後は1937-1973年までヨガの教授を務めました。ですから彼にとってムーンデイ前後のお休みはこの頃からの習慣となっていました。さらにヨガをヴェーダの実践と捉え、ウパニシャッドの知識にはアーサナ及びプラーナヤーマの実践こそが、そこへ至る唯一の道だと考えていたジョイス師は、ヴェーダを指導する時と同じ慣習をヨガの指導にも用いました。

また満月・新月は「ナクシャトラス」(ヴェーディック占星術による星の運行)で特別な星の配置―コンジャンクション(合。占星術で星が重なり合い強い影響があると言われる状態)にあるため、怪我をしやすく、またその怪我は治り難いとも話していました。これについて「ジョティシュ」(サンスクリット語で「占星学」)をあたってみても私には確認することが出来ませんでしたが、しかしこれは彼が彼の父親から学んだのではないかと推測出来ます。というのも彼の父親は熟達した「ジョディシ=占星学者」でしたから。

 

パタビ・ジョイス師はこれらの事柄については相当な知識を持っていました。なぜなら「ジョイス」という名前は「ジョティシュ」が南インド訛りで「ジョイス」となったものであり、占星学はまさに彼の家系の伝統でした。これらの事からパタビ・ジョイス師は14歳の時からムーンデイや星の運行についての知識や習慣を持っていたこと、そして彼がこれらの習慣を持つに至った過程を知ることはとても興味深いということが言えます。

私たちはブラフミンでもなく、ましてやインド人でもありませんが、なぜ彼がこのような事をしたのか理解に務めるのは大事ですし、彼が重要だとみなした事を受け入れ従うことは、彼の生徒として私たちにも当て嵌まります。

しかしだからと言ってこれらを大げさに捉え過ぎ、様々な幻想を造りあげてしまうのは禁物です!

 

これからするお話は、私たちが(例えばアシュタンガヨガ練習生が!)シンプルな事柄に対して合理的な検証を怠ってしまう様子を面白可笑しく伝えてくれます。

 

ある村で、かつて高潔な学僧が木の下で「バガヴァッド・ギーター」の講義を行っていました。彼は1匹の猫を飼っていましたが、この猫がたびたび聴衆の間を跳び回り迷惑をかけるため、僧は講義の間は猫を木に繋いでおくことにしました。時が経ち、魂が僧の身体を離れ、僧がこの世から亡くなると、彼の弟子の一人が木の下で「バガヴァッド・ギーター」の講義を続けることとなり、相変わらず猫は講義中は木に繋がれていました。

そしてまた時が経ち、今度は猫が亡くなると弟子は次の猫を買ってきました。そしてそれから3世代が経つと、神聖なる伝統として「『バガヴァッド・ギーター』の講義中は木に猫を繋ぐこと」と記されたのでした…。

 

パタビ・ジョイス師自身および彼のメソッドへの敬意から、ムーンデイの慣習にアシュタンガヨガの練習生は従うべきだと私は考えます。これらの伝統に従い伝統の流れの一部に自身を捧げることは、謙譲と思慮深さを私たちの内に生み出します。ムーンデイに練習をしたからといって、なにも地獄に落ちるわけではありませんが(たぶん)、伝統の流れに身をゆだねその一部となることは私たち自身に力と影響を与えます。試してみて損はないでしょう?指導者それぞれにそれぞれの伝統や慣習があるので、私は全てのヨガ練習生がムーンデイに練習をすべきではないなどとは考えません。より高い理念を自身の内に持ち、ヨガの実践の中に幸福を見出すことを願っています。それがムーンデイであってもなくても!

 

親愛なる皆様へ

エディ・スターン

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